MIYAZAKI-FUKUOKA
宮崎・福岡
※本レポートは「2030年の九州を語ろう!ONE KYUSHU サミット 宮崎 2024」内のトークセッション「オープンシティとは?宮崎の視点から九州を考えるー2030年の九州」を記事にしています。
地域には多様な背景を持つ人々が暮らしています。その土地で代々家業を承継している人や移住して起業する人、Uターンで故郷へ戻ってきた人など。オープンシティとはそういった様々な立場の人々が交流することで、まちづくりの新しいアイディアやビジネスが生まれる社会のこと。
宮崎市では、2024年4月より宮崎オープンシティ推進協議会(以下、MOC)が立ち上がる予定としており、その取り組みに注目が集まっています。人口減少や少子高齢化など、地域が共通で抱える課題解決のために必要な公民連携のかたちを模索しています。
さまざまな背景を持つ登壇者が、オープンシティの実現に向けて熱く語るトークセッションをまとめました。これからの地域間連携に必須のエッセンスをゲットしてください!
石丸修平氏(モデレーター、以下敬称略):モデレーターを務める福岡地域戦略推進協議会(以下、FDC)の石丸です。よろしくお願いします。まず、みなさん自己紹介をお願いします。
清山知憲氏(以下敬称略):私は宮崎市内の中央通り育ちで、いわゆる「ニシタチ」と呼ばれる繁華街のなかで育ちました。実家は蕎麦屋だったのですが、蕎麦アレルギーで継ぐことができませんでした。祖母が大好きで、将来は祖母を助けようと考え医療の道を歩みました。
医師になってからは様々な場所を点々としていましたが、祖母の世話をするために宮崎に帰ってきました。別に宮崎市が好きだったわけでもなかったんです。しかし「帰ってくるからには住む街をより良くしたい」と思い、医療の分野で課題に感じていることを解決するために勉強会を開き、県議会議員として活動しながらクリニックを開設しました。
米良充朝氏(以下敬称略):私は宮崎市内で電気設備の製造業をしています。社員は330人ほどの会社で私で3代目です。また、令和2年4月から令和3年3月まで、日本商工会議所青年部の会長を務めました。当時、3万4000人ぐらいのメンバーがいる組織でした。
今日の聴講者にはスタートアップ、起業を目指している方や経験している方が多いかもしれませんが、商工会議所青年部に所属する方は地域企業の2代目、3代目といった承継組が多い組織です。そうした組織での経験もあり、清山市長と相談し一緒にMOCを立ち上げることになりました。
山本遼太郎氏(以下敬称略):私は東京生まれ東京育ちで、東京で医療系の会社を経営していました。そちらを譲渡しまして、2年ほど前に福岡の糸島に小学生の子供たち2人を連れて移住してきました。本日は北九州市の官民連携ディレクターという肩書きで登壇しています。
北九州市長は東京時代からの10年来の友人です。私が移住してから彼が市長選に出馬することになり、選挙活動を乗り越えて当選を果たしました。そして市政経営にお誘いいただき、現在は市長とともに市政の改革に取り組んでいます。
市長とは朝電話会議をして今日やることを決め、夜も会食があればその後に反省会を開いたりと、自治体経営の中に入り込んでいます。今日はお互いに学び合いながら、いい時間を過ごせればと思っています。
清山:山本さんは官民連携ディレクターとして、武内市長と毎朝何を電話で話しているのか興味があります。
山本:武内市長は市長に就任してからアドレナリン出っぱなしです。「これもやらなきゃいかん、あれもやらなきゃいかん」と熱量高くなっています。そのなかで「何に優先的に取り組むか、どう動くか」ということをミーティングしています。
外側から連携するというよりは「市政経営に民間目線を導入する」という意識で取り組んでいます。経営会議にも市長・副市長と並んで参加し「民間だとこうしますよ。この施策の投資対効果どうなっているんですか」など意見を出しながら、少しずつ仲間を増やしている最中です。
清山:私が市長になった時は、宮崎市役所は生真面目な体質だったんです。「民間企業の知人を市長室に呼んで、意見交換がしたいんだ」と言ったら「一企業の方を市長室に入れてお話するのは、相応の理由が必要ですね」と言われてしまいました。
「利益相反とか癒着を疑われたら良くない」ということだったんですが、そのハードルを下げるところから始まりました。山本さんのお話を聞くと、北九州市はすごく柔軟ですね。
山本:確かに。市の非常勤特別職として任命を受け、就任会見まで行い、理解を得るプロセスをすごく大切にしています。
清山:現在宮崎市では総合計画をつくっていて、その中心となるコンセプトがまさにオープンシティで開かれた開放的なまちづくりを進めています。「多様な人や企業が自由につながりチャレンジしていく」そのようなまちを目指します。
宮崎市は城下町ではなかったため、明治になってから様々な人が流入しまちを形成してきました。商店街の通りに四国の地名がついたところが多いのは、四国から移り住んだ人が多かったからです。これからも外から人が集まり、自由に挑戦できるまちでありたいと考えています。
私がUターンした時に大学病院の医局に所属したのですが、地元出身にもかかわらず孤立感を感じました。東京や都市部ではもっとフランクな付き合いができたのに「なんだろうな」と疑問を感じたこともあります。
石丸:出身だとか、そうではないことで距離が生まれたり、初めはオープンだけどコアなところには立ち入れなかったり、宮崎だけではないことだと思います。地域性がでるところですよね。
清山:そうですね。でも、その空気を排除して寛容性や解放性、自由をキーワードにまちづくりを新しく進めていきたいんです。米良さんが発起人として4月から始める「宮崎オープンシティ推進協議会」では、市も一緒になって取り組んでいきます。
この取り組みの1番のキーポイントは、行政職員が中心となる組織ではなく、あくまで民間の人たちが中心になって自由にできる組織ということです。行政がやると議会から「これをやって何か問題が起きたらどうするんだ」と指摘されることがありますが、それを回避できます。
米良:そうですよね。何かあったら私のせいみたいな言い方にも聞こえますが。
石丸:おそらく、僕もFDCで同様の立場になると思いますが、僕のせいにされることでうまくいくことがあるのではないかと感じています。
清山:石丸さんはFDCでの失敗や、うまくいかなかったことってありますか。
石丸:失敗は多々ありますが、例えば、スタートアップの方々の支援で「絶対コミットします。これでいきましょう」と握手した2週間後に「事業転換しました」とか当然ありますよね。
これ自体は失敗ではなく悪いことではありませんが、相手の状況の変化以上にこちらが柔軟性を持てなかったために、適切な対応ができなかったり「もう少し上手な方法はなかったのか」と考えてしまったりすることはたくさんあります。
山本:役所で同じことをしようとすると大変ですよね。上手くいかないと「税金の無駄遣いだ」と言われてしまう。だからこそ自治体がやりきれない分野を、FDCが民間の資金で取り組むという分担ができているんですよね。
石丸:そうですね。行政でやってみたいけどリスクが読めない場合にFDCで挑戦してみるような事例はあります。合意形成が難しいということではなくて。
実際に動き始めて成果が出れば効果が可視化されるので、その後に行政も一緒にやろうという流れに持っていくこともできます。スタートアップの支援などはスピード感が重要なので、まさにそのパターンでした。
清山:スライドに記載している食産業や農業に付加価値をつけ販路拡大を目指すことは、まさにビジネスです。行政がこうした新規事業を立ち上げる時に「絶対うまくいきます」とは言えません。ハイリスクな施策には税金である予算は費やせないのです。
しかし、そこをうまく始めるために公民連携をして、民間の方々と一緒になって取り組むことが必要になってきます。ですので、米良さんもMOCでは失敗を恐れずに、自由に挑戦してください。
米良:資金を探してきて、責任も取れということですよね。そういうことだと思っています。
山本:でもそれで自由に挑戦できることは、すごくいいことです。チャンスが広がります。
石丸:資料には、ローカルスタートアップや地域企業のイノベーション、先ほどの食産業と農業の革新とありますが、清山市長がMOCで狙っていきたいポイントはこれが3本柱なのでしょうか。
清山:そうです。ローカルスタートアップ事業では、若い人たちが新しいビジネスに挑戦できる環境と刺激を受ける場をつくっていきたいんです。インターネットが発達していても、どうしても対面で直接伝わってくる刺激は、絶対にあると思っています。
地方は刺激を受ける機会を意図的につくらないと、若い人たちは半径数十メートルの世界に流れてしまいやすくなります。一生懸命刺激を与えていきたいなと思っています。
石丸:米良さんはMOCの発起人であり、責任も感じられていると思います。米良さん自身が今までの経験や活動を通して今回の事業を見た時に、どういう取り組みにしたいと考えていらっしゃいますか。
米良:日本商工会議所青年部の会長を務めた時に、いろんな方と会う機会をいただきました。そして現在は、別の組織に所属していまして、こちらに所属されている方たちは上場されている大企業の方が多いんですよね。本当に両極な構成メンバーだと思います。
「団塊の世代」と呼ばれる我々の親世代の方たちの若い頃は日本が「技術大国」と言われていたころです。当時の企業は技術の高さを競い合ったと思います。日本にしかない技術をどんどん編み出し、お金は後からついてきた時代です。
現在の国内企業を見てみると収益ばかりを競い合っているように思えます。SNSで流れてくる短い動画やメディアで取り上げられるための話のネタなどお金ありきの話で溢れているなと感じます。
米良:昨年、中国に出張した時のことです。周囲から昔の中国のイメージで「技術を盗まれないように、気をつけて行ってこい」と送り出されました。しかし、中国には日本から技術を盗む意味は見当たりませんでした。「何歩先を行かれてるんだろう」と思ったんです。
自分たちの今の生活を見渡すと、輸入品ばかり使っています。自分たちで必要なものをつくれる地域や国であるために、もう一度やり直す必要があると感じました。そういった意味で「強い国とは何か」と考えた時に「強い地域の集合体」だと思ったんです。
強い地域とは強い個人が多い地域です。「強い」という言葉には語弊があるかもしれません。「継続的に発展させよう」という気概をもった個人が多い地域は強いです。だからこそ、個人にフォーカスして盛り上げる地元でありたいです。
米良:私のような地域で事業を承継している人間とスタートアップの人たちは、畑が違うというか、あまり触れ合うことがありません。我々が「今まで引き継いできたものを、どうやって大きく発展させ、次世代に渡すか」と考えている一方で、スタートアップの方たちの方が、地元に深く関わっていることも多いんです。
両者が折りまざっていくと、もっと力強い地域になると考えています。最初の2、3年は様々な分野を応援をすることで、いろんな人が集まり、ワクワク楽しみながら挑戦できる場所にしたいです。
前編では、登壇者がそれぞれの立場で考えるオープンシティのビジョンについて語られました。後編は、それぞれが抱えているリアルな悩みが打ち明けられ、登壇者同士でさまざまなアドバイスが飛び交います。ぜひ、後編もお見逃しなく。
Editor's Note
最近、いろいろな自治体の首長が登壇するイベントのアーカイブ記事を書きましたが、みなさんが自分たちの自治体のことを考えて苦労されている姿を見て、新鮮な気持ちです。市民である私たちも一緒に何かできたらいいなと思いました。
DAIKI ODAGIRI
小田切 大輝